生涯、勇は、日本とアメリカ、ふたつの祖国のために 自らをなげうって努力を惜しむことはありませんでした。 1984年のオリンピック開催地にロサンゼルスが選ばれると、 勇は組織委員会の委員として力を尽くしました。
ロサンゼルスオリンピックの後すぐには、 老人ホームの敷地内に新たに耐震性のビルを建てるため、 資金集めに東奔西走しました。