あとがき(授業をされる先生方へ)
外国に留学し帰国した人は必ずと言っていいほど、
日本の事をもっと知っておけば良かったと言います。
外国人に日本の事を聞かれて答えられなかったからです。
日本はこんな国です。
私の生まれたところはこんな所です。
…とはっきり言えないと相手にされないそうです。
真の国際人とは外国語がしゃべれるだけではなく、
自分の出身した国を理解し誇りを持ち、
相手の国をも尊重する人だと思います。
和田勇さんはアメリカで生まれ、
4歳からの5年間だけ口べらしのために祖父母のいる御坊・日高で生活しました。
両親から離れさみしい毎日だったと想像します。
93年間の永い一生のたった5年間でしたが、
少年和田勇の心の中にはふるさと御坊・日高での生活が刻み込まれました。
いかに幼児期の経験が大事かわかります。
アメリカに戻り苦労して実業家となった和田勇さんは、
この物語の中にあるように、頼まれるとNOと言わず
ひたすら他人のために行動します。
東京オリンピックの誘致活動では、自分の仕事を投げ出して
正子夫人と決死の覚悟で中南米のIOC委員の下に説得に廻ります。
今と違って海外旅行もままならない時代です。
日本政府も誘致活動をしたくても外貨のない時代です。
当時の岸信介総理大臣からの特命移動大使級の権限を与えられたとは言え、
お土産も自分で用意しての1ヶ月に及ぶ旅でした。
歴史に「もし」はタブーと言われますが、
もし昭和39年に東京オリンピックが開催されなかったら
今の日本はどうなっていたでしょうか。
少なくとも、戦後の発展はもっと遅れていたでしょう。
御坊ロータリークラブは、
昭和28年7月18日の当地を襲った大水害に各方面から多大の援助をさしのべられ、
とくに和歌山、田辺両ロータリークラブの奉仕活動に感銘し、
設立したと聞いています。
今年御坊ロータリークラブ創立50周年を記念して、
故和田勇さんの功績を顕彰しつつ未来ある子供たちに
彼の行動と精神を知ってもらいたいと思いこの事業を計画しました。
先日和田勇さんの伝記
『祖国へ、熱き心を-東京にオリンピックを呼んだ男−』の作者・小説家高杉良先生から電話があり、
「和田勇さんは、あなたがた御坊生まれの人から見ればふるさとの偉大な大先輩だが、
実は日本の大恩人なのですよ。」と言っておられました。
未来ある子供たちが、
自分の生まれた土地に誇りを持ってほしい。
自分の国やふるさとを理解し愛してほしい。
そして違う国の人や違う考え方の人をも尊重し、狭いナショナリズムではなく大きな度量の
真の国際人となってほしい。
…と思いこの本を作りました。
第二の和田勇さんが生まれる事を願っています。
最後に文章とイラストで協力していただいた
長岡亜矢子さんとかりやぞののり子さんに感謝申し上げます。
平成16年6月6日
御坊ロータリークラブ創立50周年記念事業委員会
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