■わだいさむものがたりP.12

御坊ロータリークラブ和田勇委員会

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中南米行脚から帰って2週間ほど経ったある夜、
東京のIOC(日本オリンピック委員会)から勇の家に電話がかかりました。
「ミュンヘンに行ってもらえませんか。
ラテンアメリカのIOC委員たちにもう一度会って、
東京を支持するよう念を押してもらいたいんです。
他の候補地の関係者たちからミュンヘンで頼まれて
気が変わることのないように、
眼を光らせていてくれませんか」
IOCのたっての頼みに、
「そこまで言われたら、引き下がるわけにはいきません。
中南米旅行の続きや」
勇は、開催地決定の投票が行われる5月26日の2日前にミュンヘンに赴いて、
中南米のIOC委員たちと会い、最後の説得に努めました。


東京オリンピック-イラスト

投票の結果、58票中東京は34票を獲得。
デトロイトは10票、ウィーンは9票、ブリュッセルは5票。
東京の圧勝でした。

1964年(昭和39年)10月10日、東京の空は美しく澄みわたっていました。
国立競技場は7万3千人の大観衆。
第18回オリンピック東京大会の開幕です。
オリンピック・マーチの軽快なメロディーにあわせて、
アメリカ、ソ連、ベネズエラ、ベトナム、ユーゴ…と
次々に各国の選手たちが入場行進してきます。


深紅のブレザーに純白のスラックスとスカートを身につけた日本選手団がさっそうと現れると、
拍手と歓声はさらに大きく会場に響き渡りました。
94ヶ国、5,541人。
すべての選手たちが一堂に会したところで
「第18回近代オリンピアードを祝し、
ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します」
と天皇陛下が声も高らかに述べました。
聖火台の下で、ファンファーレが鳴り響きます。
勇は観客席からその様子を見つめていました。
「ああ、日本はこれで一等国の仲間入りをしたのやな。
戦争に負けて貧しく苦しい境遇になってしもうたが、よう立ち直ったもんや。
日本人はみんな、よう頑張った」
静かにつぶやいた勇の目から、涙がこぼれました。