■わだいさむものがたりP.11

御坊ロータリークラブ和田勇委員会

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飛行機-イラスト1959年(昭和34年)3月29日、
ふたりはロサンゼルス・イングルウッドの空港から、
メキシコ行きのプロペラ機に乗りました。
メキシコIOC委員は、クラーク退役大将と実業家のゴメスの二人です。
仕事の上でのつてを頼りに、到着した翌日、勇はさっそくクラークに会いました。

「将軍、お目にかかれて大変光栄に存じます」勇はスペイン語でのあいさつを一通り終えてから、
さっそく東京オリンピック実現にかける思いを語り始めました。「将軍、わたしは、岸総理大臣から
東京オリンピック準備委員会委員に任命されて、真っ先に将軍のもとへごあいさつに参りました。
日本は戦争に負けて多くのものを失いました。
しかしいまや厳しい試練をくぐり抜け、オリンピックを開催できる力を持つほどによみがえりました。
これまでにアジアでオリンピックが開かれたことはありません。
アジアで初めてのオリンピックを東京で開催するために、力を貸していただけないでしょうか」
勇は熱く語りかけました。
しかしクラークの表情は硬いままでした。
なぜなら、戦争の後メキシコは、アメリカから経済的な援助を受けていたからでした。
アメリカの援助を簡単に無視する訳にはいかなかったのです。
「メキシコにはメキシコの事情がありまして、簡単に引き受けることはできないのです」

勇、正子-イラスト けれど勇はあきらめず、説得を続けました。
「アメリカとの戦争に敗れ、日本の全土が焼け野原と化しました。
しかし日本人は懸命に働いて、なんとか世界の舞台に入ろうと、
今必死に模索しているんです。
東京でオリンピックを開くことで、日本は復活できるんです」

荒地を走る車-イラスト クラークのなかで、復興のために懸命に努力する日本の姿が、
アメリカの経済支配のもとで自立の道を模索するメキシコの実情と重なって、
勇に強い共感を覚えました。
「和田さんの熱意に感服しました。ロペス大統領はわたしが説得しましょう。
総会では必ず東京に投票しますよ」
クラークの言葉に、勇は感激のあまり涙がこぼれそうになりました。
そんな勇の様子を静かに見つめながら、クラークは言いました。
「和田さんに一つお願いがあります。
我々は、中南米でオリンピックを開催できる国があるとすれば、
メキシコの他にないと自負しています。
東京の次、つまり9年後の1968年の第19回オリンピック大会の際には、
メキシコシティが開催地として立候補したいと思います。
そのときは支持してくれますか」

「もちろんです。支持しますとも」
勇はわずか一日で、メキシコの同意を取り付けたうえ、
クラークから、中南米各国のIOC委員へ宛てた紹介状を書いてもらうこともできました。
長い中南米行脚のさい先は驚くほど順調に進み、
善は急げと勇はキューバ、ベネズエラ…と次々と各国をまわりました。
祖国復興のためにぜひとも東京でオリンピックを開きたいという勇の誠意と情熱は、
各国のIOC委員らの心に響き、一ヶ月あまりに及ぶ中南米行脚で、
勇は多くの支持を取り付けることができたのです。