養豚や養鶏、出稼ぎとさまざまな副業もしましたが、
赤字経営から抜け出すことができません。
きつい仕事と貧しさに耐えきれず、入植二年目から、
別の農場に移ったり鉱山や工場に転職したりして、
次々と仲間たちがキートリー農場を離れていきました。
そして三度目の夏を迎えるころには、
農場には数家族を残すだけとなっていました。
勇一家も1944年(昭和19年)5月、ついに農場を離れました。
キートリーでの集団農場経営は、
とても成功とは言えませんでした。
けれど勇はいつも前向きでした。
「キートリーで二年も頑張れたことは、
ええ財産になるはずや。
130人の入植者は散り散りになってしもうたが、
キートリーでの苦労はきっといつか報われる」
実際、この集団農場での苦労は、勇にとって意義深いひとつの経験となり、
勇の精神をさらに強いものにしたのでした。
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