◆2023-24年度・
第19回和田勇賞授賞式・「和田勇物語」感想文最優秀賞表彰式



◆和田勇賞…該当者なし

◆小学生の部最優秀賞
初めて東京にオリンピックを呼んだ男「和田勇」
岡井健吾さん(塩屋小学校5年生)


初めて東京にオリンピックを呼んだ男「和田勇」。
まずぼくが驚いたことは、ぼくと同じ和歌山県ごぼう市に住んでいたことです。
こんな身近な所にすごい人がいたなんてしりませんでした。
どこがすごいかというと
、戦後に開かれた全米水泳選手権大会に出場する日本の選手たちが、
ホテルにとめてもらえないと知り、
勇さんはその選手たちを迎え入れ、ごちそうまで用意した所です。
そしてもっとすごい所は、日本からかかってきた、
「第十八回オリンピックを東京で開きたい」という話をしょうだくしたことです。
なぜなら、オリンピックをどこで開くかは、
国際オリンピック委員会の五十八人の多数決で決められるからです。
なので、勇さんは九か国を四十日近くも家に帰らず、
「東京にオリンピックを」とお願いして回りました。
その結果、東京でオリンピックが開かれることになりました。
日本でオリンピックを開くため、
戦争に負けて元気をなくしている日本人のためにすくした男「和田勇」。
この人のようにぼくも人につくせるようになりたいです。
ぼくは将来看護師や介護士になって、
病気の人やおとし寄りの人のために働きたいと思っています。
なぜなら、勇さんからは人のためにつくすことの大変さが伝わってきたけど、
それよりも人を思う気持ちのほうが伝わってきたからです。
ぼくのお父さんは介護士をしています。
お父さんも仕事は大変だけど、「ありがとう」と言われた時に
うれしさを感じると言っていました。
人のために働いたり動いたりすることは、
自分の幸せのためにもつながると思います。
人のためにつくすことの大切さや美しさを
ぼくも伝えられる人になりたいと思っています。


◆和田勇物語感想文中学生の部最優秀賞発表
「和田勇物語を読んで」
森本和樹さん(印南中学校2年生)

僕は昔の日本がどうなっていて、昔の人がどんな苦労をしていたかはあまり知らないけど、
これまでの人たちのおかげで今の日本、そして僕たちがいるんだと実感した。
教科書にのっている人、
教科書にのっていなくても、今の日本をつくっていった人。
フレッド・和田さんのような人。
僕はフレッド・和田さんは今の日本をつくるのに大きな功績を残したと思う。
なぜなら、フレッド・和田さんは僕たちにはできないようなことでも引き受けて、
成功するまでに多くの努力をして、
今の日本をつくったからだ。
そして、いまでもフレッド・和田さんの思いは受け継がれているからだ。
この日本に聖火を持ってきてくれたのはフレッド・和田さんだと言っても過言ではないと思う。
フレッド・和田さんは、当時ジャップと言われたり、
ホテルの宿泊を拒否されたりした水泳選手達を自宅に宿泊させ、
食事を提供したらしい。
もし自分だったらそんなことはできないだろう。
だって、もし誰かがいじめられているとき、
助けたい気持ちはあるけど、
最後の一歩をふみだす勇気がないと思っていたからだ。
けれど今の僕は違う。
フレッド・和田さんのことを知って、
今ではフレッド・和田さんのようになりたい、というあこがれを持っている。
そして、フレッド・和田さんのことを和歌山県だけでなく、
日本中のすべての人に知ってほしいと思っている。
僕はあきらめないことの大切さを知ったり、
勇気をもつことができるようになった。
だから、もっとたくさんの人が勇気をもてる一つの方法として、
フレッド・和田さんのことを知ってほしい。
僕はこれから先の将来、日本だけでなく
世界中の人が勇気を持てるようにあきらめずに、
フレッド・和田さんの想いを受け継いでいけるようになりたい。

過去最優秀賞部門最優秀賞
「豊かな心を持って」
寺井巴菜さん(日高高等学校2年生/受賞当時志賀小学校5年生)
寺井巴菜さん








私は、豊かな時代に生まれ、
今、食べる物や身の周りの物に困ることなく生活しています。
和田勇さんが、貧しい時代に生まれ、
両親と離れて暮らした事を想像すると、
とても心苦しい気持ちになりました。
でも、祖父母がいる名田町で過ごした5年間は、
きっと心あたたまるような日々だったのではないのかなと思います。
そして、幼少期から、自立した心の持ち主だと感じました。
苦しく困難な時も「頑張れた事はええ財産、苦労はきっと報われる」など、
いつも前向きな言葉が心に深く残りました。
日本の選手を受け入れた時、とても寛大な人だと思いました。
日本もアメリカも祖国で大切だという、
ふるさとへの愛情が伝わってきました。
私は、おもてなしの一つ「おかいさん」がとても気になり、
食べてみたくなりました。
冬休み中、母に言って作ってもらいました。
父と母は、曾祖母が作ってくれたので、よく食べていたそうです。
初めて食べた「おかいさん」の味は、
あたたかくて、優しくて心もあたたまる感じがしました。
和歌山の郷土料理で和歌山出身の選手が大活躍できたと思うと、嬉しくなりました。
私は今まで何度か戦争の事が書かれた物語を読みました。
夏休みには戦争を学ぶ平和学習があります。
「戦争」という言葉を聞くと恐怖と悲しさでいっぱいになります。
戦争が終わった後もアメリカで日本人、
日系人に対する偏見があった事を知りました。
今のような平和な暮らしができるまで、
和田勇さんとその時代を支えてくれた人達がいるのだと思いました。
今がある事を感謝しなければいけないと思いました。
和田勇さんが、自分の身を投げうって祖国の為に働こうとする情熱を知り、
私は人の為に、純粋な心で尽くす事ができるのだろうかと考えました。
私は、お得な事は嬉しいし、
損な事はしたくないと思ってしまっていたのが正直な気持ちです。
でも、和田勇さんの生き方を学び、
私も心を広く持ち、困難な事が起きた時、
相手の気持ちになってすぐ行動できる人になりたい、
自分よりも周りの人の幸せを願うような人になりたいと思うようになりました。
そして、これから自分が育った町を一生大切にしたいと思いました。
小さな事でも自分にできることがあればやっていきたいです。
2020年には、東京オリンピックの開催が決まっています。
和田勇さんが生きていたら、どれだけ喜んだでしょう。
諦めない心を持ち、努力し続けたら、
いつか大きな目標や夢にも立ち向かう事ができるのだと思いました。
豊かな時代に生まれた私達だからこそ、心が貧しくならないように、
和田勇さんの生き方を胸に刻み、生活していきたいです。


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