◆和田勇賞…該当者なし
◆小学生の部最優秀賞
初めて東京にオリンピックを呼んだ男「和田勇」
岡井健吾さん(塩屋小学校5年生)
初めて東京にオリンピックを呼んだ男「和田勇」。
まずぼくが驚いたことは、ぼくと同じ和歌山県ごぼう市に住んでいたことです。
こんな身近な所にすごい人がいたなんてしりませんでした。
どこがすごいかというと
、戦後に開かれた全米水泳選手権大会に出場する日本の選手たちが、
ホテルにとめてもらえないと知り、
勇さんはその選手たちを迎え入れ、ごちそうまで用意した所です。
そしてもっとすごい所は、日本からかかってきた、
「第十八回オリンピックを東京で開きたい」という話をしょうだくしたことです。
なぜなら、オリンピックをどこで開くかは、
国際オリンピック委員会の五十八人の多数決で決められるからです。
なので、勇さんは九か国を四十日近くも家に帰らず、
「東京にオリンピックを」とお願いして回りました。
その結果、東京でオリンピックが開かれることになりました。
日本でオリンピックを開くため、
戦争に負けて元気をなくしている日本人のためにすくした男「和田勇」。
この人のようにぼくも人につくせるようになりたいです。
ぼくは将来看護師や介護士になって、
病気の人やおとし寄りの人のために働きたいと思っています。
なぜなら、勇さんからは人のためにつくすことの大変さが伝わってきたけど、
それよりも人を思う気持ちのほうが伝わってきたからです。
ぼくのお父さんは介護士をしています。
お父さんも仕事は大変だけど、「ありがとう」と言われた時に
うれしさを感じると言っていました。
人のために働いたり動いたりすることは、
自分の幸せのためにもつながると思います。
人のためにつくすことの大切さや美しさを
ぼくも伝えられる人になりたいと思っています。
僕は昔の日本がどうなっていて、昔の人がどんな苦労をしていたかはあまり知らないけど、
これまでの人たちのおかげで今の日本、そして僕たちがいるんだと実感した。
教科書にのっている人、
教科書にのっていなくても、今の日本をつくっていった人。
フレッド・和田さんのような人。
僕はフレッド・和田さんは今の日本をつくるのに大きな功績を残したと思う。
なぜなら、フレッド・和田さんは僕たちにはできないようなことでも引き受けて、
成功するまでに多くの努力をして、
今の日本をつくったからだ。
そして、いまでもフレッド・和田さんの思いは受け継がれているからだ。
この日本に聖火を持ってきてくれたのはフレッド・和田さんだと言っても過言ではないと思う。
フレッド・和田さんは、当時ジャップと言われたり、
ホテルの宿泊を拒否されたりした水泳選手達を自宅に宿泊させ、
食事を提供したらしい。
もし自分だったらそんなことはできないだろう。
だって、もし誰かがいじめられているとき、
助けたい気持ちはあるけど、
最後の一歩をふみだす勇気がないと思っていたからだ。
けれど今の僕は違う。
フレッド・和田さんのことを知って、
今ではフレッド・和田さんのようになりたい、というあこがれを持っている。
そして、フレッド・和田さんのことを和歌山県だけでなく、
日本中のすべての人に知ってほしいと思っている。
僕はあきらめないことの大切さを知ったり、
勇気をもつことができるようになった。
だから、もっとたくさんの人が勇気をもてる一つの方法として、
フレッド・和田さんのことを知ってほしい。
僕はこれから先の将来、日本だけでなく
世界中の人が勇気を持てるようにあきらめずに、
フレッド・和田さんの想いを受け継いでいけるようになりたい。